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2006年02月11日

父の命日

44年間一番悲しい日は 父が亡くなる前・・・
無理やり父を病院に連れて行き検査し 結果を聞いてきた母から
玄関で「お父さんは後一週間なんだって…」といきなり告げられた日
これ以上に悲しく辛いそして泣いた日はなかったな。
natukiは4歳 お風呂にはいっても号泣してnatukiに
「今ママが泣いてるのは秘密だよ」って約束したのに
次の日 何故か近所のおばさんたちまでが 知ってた
(なっちゃん口軽すぎ〜〜
泣き腫らした目は お岩さん 状態・・・こんな顔で父には会えないよ〜・・・
宣告された次の日どうやって父に会えばいいのだろう・・・
父は元気になっていた。父はあんなに痛い治療を昨日受けて耐えたのだから
もう5年は生きたいよ!生きれるような気がする!!あと5年は natukiと
一緒に過ごしたいと 言った。
それから1か月父は病気と闘った。
病院を変わり何故か病状が急変した日から私は椅子しかない病室で
夜一緒に父と過ごすことにしました。朝になると一度家に帰り母と交代で
私は仕事に出かけ 又夕方1度顔を出し・・・
「お父さんさ〜一緒にいたほうがいいよね〜?」と父に聞くと父は
「お前がいてくれたら気が強くなれるよ」と 小さな声で・・・・
父は弱音を見せたことはないから 私はずっと父のそばにいなくて
いけないんだ!と思ったな〜・・・ほとんどもう動けない父のそばで
ずっと私は一人で話していた。。。父の目に涙が浮かんだり
心拍数で笑っているのが自分には理解できた・・・
父はもっと話せ!と1mmくらいの顔の動きで私を促した・・・
でも 看護婦さんが来て 「患者さんが疲れちゃうから話しかけちゃだめよ!」
と 怒られて・・・ 私はこんなに父と向き合う時間を
持ったことは無かった 二人でいる時間なんて無かったな〜〜〜・・・・

1日だけ疲れがたまり 「父に今日は帰るね大丈夫?朝すぐ来るよ」って
自分のベッドで寝た・・・でも 次の日数時間会ってなかった父の
様態は激変してどんどん死に向かっている。。。あ〜なんで付いてて
あげれなかったんだろう?私なんか疲れてるくらいジャン!!!!!どうってことないんだよ! 父のそばにいるしか出来ないんだもん。。。仕事してる時間以外
ずっとベッドの隣にいた。父が病気と闘ってる姿をずっと見続けた このまま生きることが父の本意でないような気がしてきた。・・・・
集中治療室に入ったとき 父の目はもう生きている感じではなかった
私は思わず「お父さん・・・もういいよ 頑張らなくてもういい・・・」って呟いてた 弟は「何!言うんだよ 親父頑張れ!!頑張ってくれ!!!」って号泣してたな
でも私はこんなにもう頑張って痛い思いして生かされてる父は 絶対に彼の
本意ではないのだ! 痛くない世界じゃなきゃ!だめ!!!

もう夜も自分は待合室の椅子で寝ることになった お父さんの隣にはいれなくなった
夜中怖かった〜〜病院の夜中待合室で掛け布団で顔を覆い お化けを見るのを
避けた(っていなかったかもしれないけど・・・・?)

結婚式の日 私は 「自分の両親が お父さんとお母さんでよかった
幸せです」と言ったとき 父はおいおい泣きっぱなしだった・・・
自分の両親は 死ぬことなんてない!って勝手に思っていたから
しかし 安らかに逝ったのかもしれない・・・

natukiは 世界で1番大事な ジジの死を目の当たりにした4歳で
私が抱っこして車でみんなが葬式の手続きをしてる間
空を見上げ「ジジは天国に行っちゃったの?」と泣いてた。

自分にとって 父との最後の10日間は 神様が与えてくれた
すごく大事な時間だったのかもしれない。
どうしてもあの10日間を思いだしてしまうけど
でも あんなに父を深く思える時間は絶対に無かったし
どれだけ自分にとってかけがえの無い存在なのかを知れた
父と私は10日間でより強い絆の親子になれたと私は思ってる・・・

感謝して この命日を過ごします。



nonnon151 at 08:33│Comments(0)

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